ワールドカップ

ここ数日はテレビを見ていても、話題はほとんどワールドカップです。私は中高の頃にサッカーをやっていましたが、当時はまだ野球人気が第一で、中学に入学してクラブ活動を選ぶにあたって野球部でレギュラーになれそうにないと思った人がサッカー部に入っていました。そのような時代ですからワールドカップに日本が出場することなどは考えられず、海外のサッカーの話題は週に一度TV放送される「三菱ダイヤモンドサッカー」が唯一の情報源でした。それが1993年のJリーグ開幕、1998年ワールドカップフランス大会出場、2002年の日韓大会と時代と共にメジャーとなり、ドイツを倒した今は完全に国民的スポーツになっています。元サッカー少年としては嬉しい限りです。

さて先日ドイツを破った時は、1993年のドーハの悲劇と比較してドーハの奇跡とたたえられました。1993年当時、私はドーハの最終予選は見に行っていませんが、その近くのUAEに住んでおり、ドーハの悲劇が起こった最終予選に至る前の1次予選の最終戦時にUAEで日本代表を応援していました。足の速さとガッツで話題になっていた“ゴン中山”が途中から出場し、始めてみる姿のその速さに感動した思い出があります。また三浦カズの当時婚約者だったタレントの設楽りさ子さんが私の真後ろの席に座って応援していて、ハーフタイムに多くの日本人観客がカメラを向けていた光景も思い出します。試合は確か1対1の引き分けだったような… 予選リーグで日本とUAEが一位を争っており、勝った方が最終予選に行けるような状況だったので、引き分けに終わった後(UAEの一次予選敗退が確定したので)帰りの車まで戻る途中にUAEの観客に取り囲まれるのではないかと心配した記憶もあります。当時はまだアラブ諸国では女性がスーク(市場)以外の場所に出歩くことはあまりなく、スタジアムの95%以上は白いカンドぅーラ(ワンピースの国民服)姿の男性国民ばかりの状況。そこに敵国の日本人の私と女性(カミさん)がおり、しかもカミさんは7ヵ月の妊婦。完全アウェーのピンチで、かなり神経を使ったのですが、幸いにもアラブの人は酒を飲まないので英国のフーリガンのような人はおらず、何事もなく車にたどり着いた時にほっと胸を撫でおろしたという記憶です。今となれば笑い話ですが、当時は試合会場も正式にはアナウンスされず、また直前に変更され(単に我々一般外国人には知らされなかっただけかもしれませんが)、試合が行われるアル・アインと言う街にある3ヶ所のスタジアムを試合開始直前に順番に回って見つけるという状況だったので、やはり少し怖い気持ちがありました。

さて今思えば、現日本代表の森保監督も当時選手でピッチを走りまわっていたはずです。しかしラモスや柱谷、そして井原の方が記憶に残っています。攻撃陣としては三浦カズ、福田、そして武田です。私が無知だったのか、森保選手が地味だったのか?  監督としてはアジア予選時は色々と酷評されていましたが、ドイツ戦の采配は見事でした。ワールドカップでは格上、格下は通用しません。相手を上手く混乱させて、相手の実力を発揮させなければ格上にも勝てます。明後日のスペイン戦も相手がてんてこ舞いするような戦術をお願いしましょう。